ゆくゆくは、

って話だったんだけど、

どうせなら。

みのり農園 高橋佳奈・高橋章隆さん

みのり農園で収穫された野菜の一部は「自家消費」される。
その意味は、ただ自分たちの腹を満たすという行為に留まらない。
農園のすぐ傍で、季節限定で営業が行われる「sato kitchen(サトキッチン)」。
それは高橋佳奈(かな)さんと章隆(あきたか)さん夫婦が、農園と並行して営む小さなレストランである。

二人の出会いの地は東京。
環境系の社団法人に勤めていた佳奈さんと、十年間の料理人生活のあと、一般企業で会社員をしていた章隆さん。
お互い飲んだり食べたりが何より好きというタイプで、様々な集まりに顔を出すうち、自然と見知った間柄となった。
やがて二人で会うような仲になっても、デート内容はもっぱら喉を潤し、腹を満たすこと。
飲み屋からレストランまで、目当ての店を見つけては二人の予定を合わせた。

転機となったのは、佳奈さんの勤め先で始まった新事業である。
親法人からスピンオフするかたちで立ち上げられた農業法人。ゼロから農園の開墾と運営を行うという業務内容に惹かれた佳奈さんは、自らそこへの異動を望んだ。
農業というはじめての経験。入り口は小さな好奇心だったが、幸運なことに、農作業は楽しかった。
「あんな小さかった種が、こんなに立派に育つの、って」
目に見えて結果が出る仕事。農園へ出るたび新たな発見があった。
自分の農園を持つ。急速に胸の内で膨らんだ願望は、当時すでに結婚を視野に入れた関係だった章隆さんに、すぐ伝えられることになった。

「ゆくゆくは、って話だったんだけど、どうせなら若いうちがいいんじゃないって」
もともと料理人だった章隆さんにとって、食べものをつくるという佳奈さんの提案は魅力的だった。
一も二もなくそれを後押しし、二人で新規就農の計画を立てた。
実家のある大津市を拠点に農地を探し、一足先に佳奈さんが滋賀へと移住。
その一か月後に前職を辞した章隆さんが合流し、二〇一三年に「みのり農園」が誕生した。

農家の個性は、常に農地や農法と連動し、反映される。
だがそのなかでも、私たちが最もその個性を感じられるのは、やはり“栽培されている野菜”だろう。
そういう意味で、みのり農園の野菜はひときわユニーク。
地域古来の在来種から、「日本ではほとんどつくってないんじゃない?」という海外種まで、作付けの総面積は中程度ながら、栽培品種は年間二百種にのぼる。

その多さの理由は、みのり農園の野菜の出荷先にある。
就農から一、二年が経った頃から、取引先のほとんどを占めるのは全国の飲食店。彼らの求める一風変わった野菜たちを、オーダーメイドのように畑に実らせる。
行きたい店を見つけては、二人で足を運ぶ。出会ったころからの変わらぬ趣味は、今では仕事を兼ねる。
畑が落ち着く冬になると各地の取引先を回り、そのサービスを肌で感じながら、翌年の要望を聞く。
その中には、かつて二人で足しげく通った馴染みの店も含まれている。

話を冒頭へ戻そう。
「sato kitchen」は二〇一七年にオープンした、みのり農園の直営レストランだ。
「つくるだけじゃなくて、食べてもらうところまでを手掛けたい」
そんな想いを叶える場所のオープンは、就農当初からの二人の目指すところだった。
厨房で、元料理人の章隆さんが腕を振るう。その料理は、採れたての野菜が持つ生命力やみずみずしさを存分に味わえるよう、どれも趣向が凝らされている。
シェフと生産者、その両方の言葉を持って、お客さんとの会話を楽しむ。
客側からしても、ハレの日のランチの楽しみも、友人の家の食卓に招かれたような落ち着きも味わえる、まさにいいとこ取りの空間となっている。

食べものをつくることができるのも、食べることを楽しむことができるのも、おそらくは人間だけの特権だ。
飽食は悲しいし、美食に凝りすぎるのもつまらない。そんな時代の中で、「食事を介したコミュニケーション」の楽しさが、二人の仕事の根幹にあるような気がする。
「味が良い」と「美味しい」は、ほとんど同じで、少し異なる。後者の評価は前者に比べ、さらに複合的な要素をもって成される。

みのり農園の野菜と、それを取り巻く空間は、「美味しい」という言葉がよく似合う。

写真撮影・提供 : フォトグラファー 桑島薫さん