どうもね、子供たちには

「不死身」だと

思われていたみたい。

小林ファーム 小林めぐみさん

「親子関係」に終わりはないが、「子育て」には静かな区切りが訪れる。
小林めぐみさんの三人の子どもたち。長女は既に親となり、末の娘もようやく成人を迎える。
これから先も、何度も互いに頼り合うことになるだろうけれど、それは自立した家族同士の繋がり。
家族の関係性が少しずつ変化していくのと並行して、あの慌ただしかった日々も、だんだんと振り返るものになりつつある。


子どもたちがまだ幼かったころは、毎日が激流のように過ぎた。
早朝四時に台所に立ち、家族全員のお弁当をこしらえる。運動部に所属する子どもたちは、一つの弁当箱では腹を満たしてくれない。包丁や鍋の湿った音が、日の出前から絶え間なく鳴り続ける。
朝一番の野菜の収穫は、その一仕事を終えたあと。子どもたちを学校へと送り出してからも、昼まで畑に出て農作業を続ける。
優雅さとは無縁の一日のはじまり。太陽の下が、毎日の定位置だった。

仕事は畑仕事だけではない。
正午を過ぎれば、今度は掃除や洗濯など、「家事」という名の労働がめぐみさんを待ち受けた。
高く昇った陽が沈み始めると、次は夕飯の準備。またしても台所に向かい、せわしなく動き回って家族の帰りを待った。
夕食が終わり、子どもたちが眠りについてからは、一人夜な夜な、採れた野菜の袋詰め。
「あの頃は、四時間も寝たらよく寝た、って感じだったね」
休息不足が続いたせいか、出先で気を失って倒れ、救急車のお世話になったこともあるという。


「どうもね、子どもたちには不死身だと思われていたみたい」
たしかに、並の過酷さではない。今もこうして農業を続けているのが嘘みたいに思える。
おそらくこれがどこかに勤めての仕事だったなら、とうの昔に見切りをつけていただろう。
しかし農業や、子育てや、それ以外のことも含めた当時のすべては、めぐみさんにとって単なる仕事である以上に、何よりも大きくて身近な、愛情を注ぐ対象だった。
農業が好きだった。そして、家族と生活を愛していた。
その気持ちに素直に従ったからこその日々だった。

何年か前。めぐみさんは、自分の野菜でベビーフードをつくりたいと考えた。
これまで家族のために必死で仕事に打ち込んでいながら、その忙しさに追われて、子どもたちにはなかなか手の込んだものを食べさせられなかった。
かつての自分と同じような境遇にある世間の母親たちを、どうにか自分の野菜で支えることはできないか。子育てが一段落着いた時、そんな想いが、心の奥深くから浮かび上がってきた。
計画そのものは初期投資や安全基準の高い壁の前に足踏みを続けたが、後に新たな出会いがあり、生産者として新たなベビーフードの開発に立ち会うことができた。
自分の野菜が使われたその商品は、生まれたばかりの初孫への、何よりの贈りものとなった。


輝く粒ぞろいのイチゴや、丸く端正に膨らんだスイカ。
愛情込めて育てた作物たちが、今年もまた、晴れ晴れと収穫の時を迎える。
農家は全知全能ではない。思った通りに生育が進むことなど滅多にない。
だからこそ日々工夫を重ねるし、収穫の時には喜びが溢れる。
育つのは、野菜や子どもばかりではない。振り返れば慌ただしくて上手くいかない毎日に、農家として、親として、自分も同じように育てられてきた。

孫の成長を眺めたり、好きなアーティストのライブに通ったり。
働き者の性分は相変わらずだが、ここ数年、以前よりはのんびりとした時間を過ごせるようになった。
それでも本音を言うならば、野菜のことも、家族のことも、まだまだ心配事は果てしない。
「尽くすタイプ」な性格は、どれだけ経っても変わることはないのだろう。それもまた、「めぐみさんらしさ」だと言えるのかもしれない。
相変わらず、太陽はめぐみさんを照らしている。


写真撮影・提供 : アノヒ写真館 若林美智子