「family farmer(ファミリーファーマー)」の杉山順樹さんは、妻の祐子さんのことを「連れ合い」と称する。
自然に、素っ気なく、でもどこか温もりをこめて、ちょっと照れくさそうに。
四人の娘たちとの六人家族。どこの家庭でも大抵そうだけど、父親と母親は、昔はふつうの恋人同士だった。
いまから約二十年前、恋人だった二人が家族になって、そして新たな家族が増えたとき。
そのときが、杉山さんが農家を志した瞬間だった。
静岡で生まれ育った杉山さんは、大学進学とともに京都に移り住み、その後は神戸で一般企業の経理に携わる。
決算期は書類の束を目の前に、日付の変わった終電で帰路につく日々。
祐子さんと結婚し、一人目の娘が生まれたばかりの新婚家庭にもかかわらず、家族揃って食卓を囲む機会はほとんどなかった。
一人で向かう深夜のテーブルから目に入るのは、いつもすっかり寝入った娘の顔だった。
子どもが生まれると、今まで気にしていなかったことを気にするようになる。
たとえば食べもの。子どもの食べるものを選べるのは、両親だけだ。
「いつか一緒に食べものづくりの仕事がしたいね」
かつて話した他愛もない夢が、ふと、二人の間で現実味を帯びたとき。
そのときがきっと、お互いがほんものの「人生の連れ合い」になったときなんだろう。
三十歳。杉山さんは、会社を辞める。
お互いに長男長女だったから、もちろん周りには反対された。
決断には付き物の不安や葛藤の中、祐子さんの実家がある滋賀県で、黙々と二年間の研修生活。
日の出とともに畑を動き回る身体が資本のしんどい作業にも、良い面はある。
朝が早いかわりに、日が暮れれば仕事は終わるから、毎日、家族みんなでご飯を食べられるようになったのだ。
そして二〇〇三年。「有機」とか「無農薬」とか、そんな言葉はまだまだマイナーで、お洒落なダイニングも色とりどりのスイーツも、高級なハーブティーのセットもほとんど見かけなかったころ。
今の半分ほどの広さの畑を借りて、「family farmer」は産声を上げた。
「かかりつけ医」のことを、英語では「family doctor(ファミリードクター)」と呼ぶらしい。その響きが無性に気に入って、「かかりつけの農家」を名乗ることにした。
お客さんのもとに届ける野菜は、正真正銘、杉山家の食卓に並ぶものと同じだ。
無農薬、無化学肥料で精魂込めて耕された土壌からは、かつて杉山さんが何よりも家族に食べさせたいと願った野菜が採れる。
広告や宣伝を行っていないにも関わらず、杉山さんの野菜のファンは「口コミ」によって増える。
かつて杉山さんがそう願ったように、お客さんの一人ひとりが、それぞれの大切な人に食べてほしいというワクワクを秘めて、杉山さんの野菜を買ってゆくのだ。
週に二日は直接販売の日。自宅の前で、採れたばかりの野菜を手渡しで売る。すっかり顔見知りになった常連さんたちと、何気ない会話を交わすのは楽しい。
なかなかスーパーでも見ないような海外の珍しい野菜は、祐子さんが昨夜の食卓の献立を説明しながら包む。
「作付けのときや収穫のとき、お客さんひとりひとりの顔を思い出すんやな」
あの人の好きな野菜だから、ちょっと多めに植えておこうか。
あの家の子どもたちでも食べきれないほど、たくさん実りそうだ。
そんな想いをこめてつくられた野菜、美味しいに決まっているじゃないか。
杉山さんの野菜からは、家族の味がする。